twitterは知らんけどfacebookは自分の誕生日を非公開にすることができます。
友達がいない人ほどやっておいた方がいい。
さもなければ、私のように、誕生日に、数年前なんかの集まりでおそらく名刺交換しただけの(その集まりがなんだったのかもわからない)非常に薄い知り合いから「おめでとうございます。飛躍の一年になりますように!」と朝イチでメッセージが来て、それ以外のもっと近い知人からはなんも来ずに死にたくなるから。
こういうメッセージの送り主の多くは個人事業主、経営者です。
個人事業主、経営者はこの手のバイタリティが強い人がたまにいる。名刺交換イズジャスティスな人。
こういう行動がプラスになるとしか思っていないという、善意からの行動なのがまた、悪意からの行為より受け手のつらさのコクが増す。
これって私みたいな猜疑心の強いタイプ(少数派でもないと思う)には逆効果なんだと、人づきあいジャスティス派に言いたい。
この人、手当たり次第facebookで誕生日の人いたら送ってんだろうなと、それまでなんとも思ってなかった人が「デリカシーがない」まで落ちてしまうんですよ。
私自身facebookそんな開かないし、あの誕生日のとこ基本見ないし、よって誕生日にマメにつながりのある人にメッセージ送るとかまったくしないので「友人知人から誕生日にSNSでメッセージが来ない」こと自体は全然どうってことないんです。これは強がりでなくほんとに。
しかし、うっすい、なんのきっかけで知り合ったかも思い出せない人から、うっすい、通り一遍のメッセージをもらうと、悲しくなってしまって、急に物欲しげになるんですよ。
リアルの、もっと近い知り合いからの本当の、パトラッシュとネロにあげたいくらいのあたたかなメッセージが。
別に寂しくなどなかったのに、知り合いとも言えないような人からの、うっすい月並みなメッセージが私を安い女にさせた。
寂しさが人を殺す。
私がもし精神的にとんでもなく追い詰められていたときに、あのうっすいメッセージ受け取ってたら「最後の一押し」になっていた可能性すらあります。
こういうことする人はもっとデリカシーを持って欲しいと思いますが、そもそも誕生日をSNSで非公開にすればこの哀しみは防げた。
ネット社会では自分の中に自警団を持つ必要があります。
そして自衛し、今年の誕生日はもうめっちゃ快適な、と思っていたら、献血で登録した日本赤十字社からからうっすい誕生日メッセージが来て(何ら特典なし)、しばらく献血行きたくないくらいムカついています。メルマガを解約しなくては。
なぜ「意味がないどころか逆効果なのにやる」のか。やらない勇気。