歳末自分感謝祭について、
「(自分も)些細な手間を惜しんで自ら生活の質を下げていた」という友人の一言に膝を打つ思いでした。
暮らしの質を上げることや豊かな暮らしって、
お金を出すことなんかより、手間の問題だったりする。
些細な手間を毎日継続できるか。毎日。
私は特定の宗教を信じていませんがこれは信仰に似ている気がする。
「朝起きて着たいと思っていたお気に入りの服は洗濯かごにあり、
なんで昨日のうちに洗濯しとかなかったんだろう昨日天気よかったのにと死にたくなり
別な候補として選んだ服にあわせるべきタイツも洗濯かごにあり死にたくなり、
夜お茶を飲んでいたコップの中だけすすいで新しくお茶を入れ、
コップのふちは当然汚れていて軽く死にたくなり、
家を出ようとしたら鍵をいつも置いておく場所に入れておらず
部屋中ひっちゃかめっちゃかかきまわして死にたくなり、
それでもなんとか電車に乗ったらハンカチとちり紙を入れ忘れたことに気づいて死にたくなり、
化粧ポーチを見たら家に大量にあるのにリップクリームを入れ忘れていて死にたくなり、
帰宅後、朝鍵を探すときにひっちゃかめっちゃかかきまわした部屋を見て死にたくなり、
トイレットペーパーと風呂用洗剤がきれていたことをすっかり忘れていて死にたくなる」
ということのない暮らし。wanna dieのない暮らし。
要は段取り力と掃除力なんだね。
うん、小さいころから苦手でないがしろにしてきたものにはやっぱり復讐されるんだよ。
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