松本清張『鬼畜』『砂の器』ダメな男が、魅力的じゃない……

時の流れを超える映画とつっかかる映画

昔の映画で名作と呼ばれるものって、今これは絶対作れない、昔の時代の威厳がそうさせたと唸るような名作もある一方で、「あ、当時はきっと名作だったんだな……」ってのもありますね。

ヒッチコックの『鳥』見て、あー、当時にしてはきっとものすごくがんばったんだろうな……ってのがどうしても私は超えられなかった。鳥がちゃちくて怖くないという。ごめんね。

名作の誉れ高い二作を見る

『砂の器』『鬼畜』を映画で二本連続で見ました。どっちも緒方拳が出ているやつです。砂の器は特に名作の呼び声高く、この人が面白いというのは面白い、という著名人が推していたりもして大変期待していました。

しかし、日本映画史上で誉れ高いシーンのひとつとされる砂の器の「親子のあてどもない放浪シーン」ですが、えー、もっと子供のためにお父さん何かできたんじゃないの?と疑問が一度沸いてしまった私はもう知らなかったころの私に戻ることなんてできなかった。

たぶんこの映画を見て泣いてる人はここで泣くのであろうそのシーンもしらけてしまいました。

ハンセン病によって追い込まれた父親を描いた砂の器と、女好きと経営失敗で追い込まれた父親を描いた鬼畜を一緒にしては砂の器に失礼ですが両作品にいまいち入り込めなかった理由と根っこの部分は同じでした。

父親の人間的にだめだったり弱かったりするところが魅力的じゃない。

ダメ人間を魅力的に描くなんて、真面目な人間を魅力的に描くより描きやすいと思うのに。ただのクズで終わる。

ちなみに内容を知らない人は鬼畜というタイトルに「エッチ方面?」とわくわくしてしまう方もいるかもしれませんが、ガチの鬼畜。子殺しがテーマです。

全体的な納得感はいまひとつなものを見るときって脇に目がいきますよね。

そんなわけで両作品とも俳優陣のゴージャスさには大興奮でした。昔の俳優って雰囲気あるよね、と言い出す人に対し、若いころは中年って過去に生きていて嫌だなと思っていましたが、中年になってこのことだったのかと思います。

『鬼畜』の大竹しのぶは当時まだ若く、しかも「やさしい婦警さん」というアクを出しにくい役柄であるにもかかわらずしのぶがいるだけで場の空気がガラリと変わって、しのぶってほんと、何考えて生きてるんだろうって怖くなった。

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